ドラマのような本当の話

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朝晩はいつの間にか涼しくなり、もうすっかり秋が始まろうとしているこの季節の変わり目。

先週と今週、2週に渡って僕は友人が7月から入院をしているという病院にお見舞いへ行ってきた。

病院に着き、そして病室に行くと、友人は元気そうに僕の名前を呼んでくれた。

、、、何も変わらない、ごく普通の会話。

僕は、そんな普通の会話出来ることに物凄く安堵するのに理由があった、、、

ー約1ヶ月前ー

僕の高校時代から仲の良かった仲間うちの一人が、LINEグループで発信した内容がきっかけでこの話が始まりました。

「◯◯にLINEを送ったんだけど、もう3日も既読にならんのやけど…」

この発言を聞き、友人たちはどよめきました。

友人A:「エラーじゃない?」

友人B:「もしかして、料金滞納とか?笑」

不安になって試しにもう一回、個人LINEに送るのだが当然既読にはならない。

次第に友人たちの間で心配の声が上がり始める。

すると、その子の旦那さんに連絡することにした。

たまたま、その子の結婚式の時に相手側の人と打ち合わせをするため、旦那さんの連絡先を知っていたのである。

そこで、急いで連絡を入れてもらった。

すると、驚きの返事が返ってきた。

旦那:「ちょっと今は話せる状況じゃないから、もう少し落ち着いたらまた話すね」

この言葉を聞いた瞬間、戸惑いを隠せなかった。

単純に「なんで?」という言葉しか頭には出てこない。

結局、どうすることも出来ないまま2週間以上続き、遂にお盆を迎えた。

この仲間うちというのは、1年の中でも数回は一緒に食事や遊びに行って顔を合わす仲なのですが、特にお盆や年末年始は必ずと行っていい程、ほぼ全員集合します。

しかし、今年のお盆はそうはなりませんでした。

そんな不自然な状況に解り切っているとは言え、しびれを切らして僕は遂に口を開いしまいました。

自分:「◯◯って、どうなったの?」

周りもその子の近況を知りたかっただろうし、きっと誰かが言うのを待っていたのだと今になって思う。

すると、その子の旦那さんに連絡をしてくれた子が重く閉じていた口を開き、そしてこう言った。

友人C:「◯◯、倒れたんだ」

、、、周囲は驚きを隠せなかった。

そして驚くのもつかの間、その後の発言に更に僕らは驚愕させられる。

友人C:「実は倒れた理由が脳出血だったみたい」

脳出血と言ったら、言わずも知られる発見が遅れると死亡する確率の高い病気の一つ。

しかし、どうやら倒れた時に不幸中の幸いにもたまたま旦那さんが一緒に居たから、そのまますぐに救急車を呼んで病院まですぐに運ぶことが出来たようです。

そして、病院に着くや否やすぐに検査をして原因が脳出血だと分かると、直ちに緊急手術の決断。

手術は長時間に及んだそうですが、なんとか無事成功して友人の命を取り留める事は出来ました。

しかし、命を取り留めた代わりにその子には、一つ大きな障がいが残ってしまいました。それは、、、

記憶喪失

そう、記憶を失ってしまいました。

しかし、全ての記憶ではなくて、現在から数年間分の記憶が思い出せなくなってしまったのです。

実は、脳の出血をしたという箇所が左脳側だったんです。

この左脳というのは、記憶や言語、計算を処理する脳の中枢機関です。

ここの部分が損傷してしまったということは、過去の記憶が思い出せなくなり、言語にも障がいを与えるという事になります。

しかも、ほんのちょっと前にあった出来事を忘れてしまうという。短期記憶が出来なくなってしまったのです。

そんな映画やドラマでしか聞いた事のないその子の現状を聞き、僕らは戸惑いは隠せませんでした。

すると、旦那さんと連絡をしてくれた子がこう言いました。

友人C:「実は私、明日病院にお見舞いに行く事になったんだ」

周囲はその理由を一斉に聞く。

後から聞いた話なのだが、その子の意識が戻ったばかりの時は話すらまともに出来ない状態だったようです。

それが、だんだんと意識も会話をはっきりしてきて、いろいろと質問や応答をしていく中で、その友人の名前が出てきたみたいです。

大切な友人グループの中でも一番仲良くしていた子の名前がこの子の口から出たので、今回初顔合わせをする最初の人に抜擢されたのだそうです。

この友人の話を聞くと、この子の記憶が専門学校の時まで戻ってしまったようです。

しかし、不幸中の幸いな事に「専門学校の時」という事は、高校からの付き合いである我々の存在はこの子の記憶の中にはしっかり残っていたようなんです。

僕らはそれを聞いて、少し安堵の表情を浮かべました。

ー翌日の夜ー

僕らはその子の様子がどうだったかのLINEを心待ちにしていた。

良い報告を願っているのだが、一方で「もしも、悪い状態だったら…」と思うと、聞きたいのに聞けないという状態で、何も出来なかった。

すると、その夜報告のLINEが来た。

友人C:「凄いよ!意識はめちゃくちゃハッキリしていたし、私たちの事ちゃんと覚えていたよ!性格も全然変わってなかった!」

その報告を聞き、僕は涙が出そうになりました。

本当に安心しました。

友人C:「ただ短期記憶がやっぱり弱くて、何回も同じ質問してた。あと、左脳にダメージを負ったから右手と右脚が麻痺してそこが自由に動けないんだ」

話を聞くと、やはり左脳へのダメージが大きいようで、思い出せなかった数年間分の記憶は断片的には少しだけ思い出せるようなのだが、それを思い出す事が出来ないみたいです。

パソコンで例えるならば、USBのメモリは無事だが、パソコン側の読み取りや接触が悪くて読み取りが出来ないという状態に近いです。

右手と右脚に関しては、神経が麻痺をしてしまっているので歩くことはもちろん、右手もペットボトルのフタを自力で開けられないような状態だそうです。

一命を取り留めただけに、やはり後遺症というものが残ってしまっているみたいです。

しかし、無事なのには変わりないし、性格も今までと何ら変わりない。

僕たちは、それだけで嬉しかった。

でも1つだけ、本当に気の毒だったと思うことがある。

“旦那さんと子供の記憶がない”ということ。

旦那さんは「何となく覚えている」という感じだそうですが、子供に関しては見たら「えぇ〜!!この子、めちゃかわいいんだけど!誰の子?」という感じで、子供に全く記憶がないようです。

神様が居るとしたら、本当に非情なことをしたなと思います。

こんな悲しい事がありますか。

自分の子供のことを忘れてしまうなんて。

この友人にとって、旦那さんとの出会い、交際、結婚、妊娠、出産という出来事はすべてここ2、3年で起きた事なんです。

記憶を思い出せないのは、ここ4〜8年間ぐらい。

僕は何とか自分の持てる知識や経験を駆使して、この一家が幸せになれるようにこの子の記憶や右手右脚が良くなるように最善を尽くそうと思いました。

まずは記憶の回復に徹しようと思い、この子の記憶が一番新しい時期が専門学校の時だからちょうど19歳ぐらいの時なので、そこから記憶を遡りちょっとずつ思い出させて行こうという作戦を考えます。

これは、僕らの仲間うちでも共同で連携を取りながらやっていくという、かなり地道な作戦です。

しかし、思い出させる方法と言ったらこれしかないので、覚えてくれていた僕らのグループがカギなのです。

職業の関係上たまたま皆んなの休みがズレていたので、お見舞いに間が開かないように平日と土日を上手くズラしてなるべく多くの回数会えるように段取りを組みました。

ー先週の月曜日ー

その子が入院して初めて僕はお見舞いに行きました。

友人からは事前に「何回も同じ事を聞くからね」と聞いていたので、僕は少しだけ覚悟して病室に向かいました。

病室に着きちょっとだけ深呼吸をし、ドアを開けるとその子とお母さんが中で待ってた。

入院中の友人:「おぉ、久しぶり〜!」

いつもと何も変わらない反応だった。

そして、僕の存在を覚えててくれた。その変わらない一言の反応だけで単純に嬉しかった。

しかし、その後どうやって話そうか、実はかなり戸惑っていました。

記憶がないのや覚えれない事を僕は重々覚承知で、いつものように話しかけました。

たわいも無い話や今の気分、退院したらやりたい事など、色々と話しました。

でも、やっぱり記憶が関わる話になったりすると会話は繰り返します。

「今って、何年?」

「それって、いつだっけ?」

「それって、何?」

同じ質問を繰り返したりしますが、性格は何ら変わっていませんでした。

だからこそ、余計に記憶を思い出して欲しかったです。

僕はあの手この手を使って、何とか今日の事をまず覚えててくれるように最善を尽くしました。

日記に書いたり、物を持ってきたり、音楽を聴いたり、思い出の話をしたり、思いつくことはほぼやってみました。

すると、その日のリハビリで少し奇跡が起きます。

リハビリルームまで一緒に行き、リハビリの様子を見ていたらなんとぎこちないですが、その子はなんと歩いてみせたのです。

これには、リハビリの担当医も驚いていました。

この子のお母さんもビックリしていました。

友人のお母さん:「先週まで歩く事すら全然出来なかったのに、みんなが来てくれるお陰で本当にどんどん良くなってきてる」

僕はそれを聞くことが出来て、回復の兆しがかなり順調なんだということに気付きました。

リハビリも終えて、病室に一緒に戻り少しだけ話しをして、リハビリに少し疲れた様子だったので、ある宿題を残してその日は帰宅をしました。

ー約一週間後ー

僕はもう一度、友人に会いに行きました。

理由は、何回も会ったり話したりする事で脳に刺激が行き、思い出すという神経の回復に一役買いたかったからと、そしてもう一つ、嬉しい報告があったから再び訪れました。

それは、友人の退院予定日が早まったからです。

というのも、先週から僕たちのグループのメンバーが立て続けに連続で会いに行った効果が出たのか、そこからの回復が日を追うごとにどんどん良くなり、予定よりも早く退院することが決まったのです。

だから、退院する前にもう一回会いに行って、様子がどうなのかと前回の事を思い出してもらおうと思ったので会いに行きました。

僕は病院に着くや否や、病室まで急ぎ足で向かいました。

ドアの前まで来て、恐る恐るノックをします。

自分:「こんにちは〜」

中に入ると先週と同じく、友人とお母さんの二人が待っていた。

入院中の友人:「遅ぇよ〜、遅刻だぞ!!」

めちゃくちゃ元気だったのに、再び安心をした。

というか、この感覚は病気になる前とかなり近い状態だった。

そこで僕は、先週自分がこの子に仕掛けた宿題の話を切り出しました。

「俺、前いつ来たか分かる?」

「これは、誰が持って来たか知ってる?」

「もうすぐ結婚式あるのは、誰?」

友人は、ちゃんと答える事が出来た。

しかも、思い出せなかった旦那や子供の事も今ではしっかり理解できている。

僕は自分の目を疑ってしまうくらい、回復が著しく良くなっているの驚いた。

しかも、もうすぐリハビリの時間という事で病室を出るとなった瞬間、なんと普通に歩き出したのです。しかも、補助器具なしで。

こんな奇跡を信じてもいいのか、ここ一週間の回復具合が凄すぎる!

この子のお母さんに後から聞いた話ですが、一時は「命を繋ぐ手術なので、障害がという話は二の次です」と医師には告げられたそうです。

それが、今になっては命どころか障がいすら克服しようとしている。

僕は、奇跡が目の前で起きている事に驚きが隠せませんでした。

友人のお母さん:「みんなのお陰です、ありがとう」

そう、お母さんは僕に言ってくれました。

人間には科学では証明できない神秘的な力があるというのは以前から聞いた事がありましたが、今まさにそれが自分の目の前で起きている。

まだまだこの子の回復は途中段階ですが、ここから徐々に良くなり以前と変わらない、元気ない以前の姿に戻ることを僕は楽しみにしています。

僕はこの助け合った仲間たちを一生の友達と想っています。

この仲間の誰かが困った時は、全員で助け合って死ぬまでバカが出来る仲というのが誰しもが必要なんだと思います。

そして、改めて仲間の大切さというものを実感しました。

今回は病気の早期の治療があったからこそ、ここまで回復出来たと思います。

もし、何か異変を少しでも感じる事があったら、面倒だったりお金が掛かったりしますが一度病院へ検査に行くことをオススメします。

早期の発見や治療が、あなたやあなたの身の周りの大切な人を救う有効的な手立てになるかもしれません。

今、ある幸せは当たり前ではないんです。1日1日を大切にし、ちょっとくらい嫌なことがあっても気にせず、今健康で元気で仕事や学校に行けることに感謝をしよう。

ひまわり 嘘のような本当の話 脳出血

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